オリーブの歴史を読んだ

今や健康によい油の代表とされるオリーブ油。オリーブは搾油しやすいのでオリーブ油ははるか昔から使われてきました。しかし、そのオリーブ油が途絶えた時代があったとはご存知ですか?

一度でき上がった習慣が、侵入者によって破壊されると途絶えるとは、日本人にはなかなか理解しづらいところです。その話を書いておきましょう。

オリーブオイル

読んだのはオリーブの歴史です。この原書房の「食」の図書館シリーズは、文字数は少ない本だと思いますが、今まで知らなかったことばかり書かれている本です。実に面白い。

オリーブ栽培のはじまり

簡単に油を搾ることができるオリーブ。一体、いつから栽培されていたのでしょう。野生種の食用にならないオレアスターと名づけられたものは、紀元前6000年の化石がスペインで発掘されているそうです。

栽培種オリーブは、学名をオレア・エウロパエアというそうですが、いつどこで最初に栽培されたのかについては残念ながらよく分かっていないそうです。

オリーブの栽培化、栽培、交易の最古の証拠は、シリア、パレスチナ、クレタ島の各地で発見されている。これまでにわかっていることから、オリーブ栽培はこの3つの地域で別々に発達したと考えられる。

旧約聖書で大洪水のあとにノアの箱船が乗り上げたといわれるアララト山があります。トルコの東端にある山です。

また、旧約聖書には、大洪水が終わった時、ノアが放したハトがオリーブの枝をくちばしにくわえてもどり、地上から水が引いたことを知らせたと書かれています。

旧約聖書が書かれたのは前5世紀から前4世紀頃といわれており(出典)、聖書が書かれるずっと以前からオリーブの木がアララト山で栽培されていたということではないかと考えられています。

紀元前2000年には、アララト山からさほど遠くないバビロニア帝国のハンムラビ王が、オリーブ油の交易にかんして厳格な規則を定めており、オリーブがすでにかなりの経済的重要性をもっていたことを示している。

オリーブの用途

この当時、オリーブ油は灯明のための油として、また、体に塗る香油や香膏(芳香のある軟膏)として使われていて、現在のような調味料でも食料でもありませんでした。

体に油を塗るのは、乾燥した気候で肌にしわが寄ったり、ひび割れができるのを防いだりするために必要なことでした。

また、オリーブ油は、死体防腐処理用にも使用されていました。

ローマ人がオリーブを広める

やがてオリーブはイタリア半島にも持ち込まれ栽培されるようになりました。それをさらに拡大したのはローマ人です。ローマ帝国の拡大とともに、ローマ人はオリーブをヨーロッパ全域に移植していきました。

食用に使われるようになったのはローマ人たちからのようです。

紀元前1世紀のはじめにはローマ帝国はヨーロッパ最大のオリーブ油生産国になっており、さまざまな品種のオリーブが北はガリアから西はスペインにいたるまで栽培していたと記している。

オリーブ油の等級についての記述は今日でも通用するもので、ローマ人がオリーブ油に対し、香油や香膏としてだけでなく、やがては料理や食卓を非常に豊かにするものとしても並々ならぬ関心を抱いていたことを物語っている。

しかし、395年にローマ帝国が東西に分割され、476年には西ローマ帝国は滅亡します。(出典)それとともに、オリーブ栽培は徐々に衰退していきます。

忘れ去られたオリーブと復活

ローマ帝国の拡大期には温暖だった気候が寒冷化し、北方の民族が南下するようになってきました。

侵入してきた民族は異なる習慣と独自の農業の伝統をもち、ローマ人の子孫に新しい食習慣を押しつけた。

侵入者の多くは、オリーブ油が生産されていない狩猟と森林の世界から、ビール、ラード(豚脂)、肉、牛乳といった食べ物の嗜好をもちこんだ。

こうした人々にとって、オリーブ油はおそらく、甘味のあるバターとくらべて辛味のある酸っぱい味に感じられたと思われる。

ローマ帝国が衰退し、北方からの侵入者がラードを持ち込むと、豚脂はヨーロッパの必需食料品となりました。料理用オリーブ油の製法とオリーブの保存法は失われ、生産された油の大半は石けん製造や工業的用途に使われました。ローマ人によって蓄積された知識体系は、遅くても11世紀には忘れ去られていました。

修道院と教会と断食

ラードと肉の文化に対抗して、修道院と教会はオリーブ油にもとづいた対抗文化を推し進めて保護しました。

キリスト教徒は断食の慣習をよく守り、1年のほとんどの期間、バターやスエット(牛や羊の腰部や腎臓の硬い脂肪)、ラードなどの動物性脂肪を口にしませんでした。

キリスト教の断食には、肉食をしないという規律があるようです。その代わりにオリーブ油を使ったものを食べていたようです。

1574年、博学なトスカーナ人のピエル・ヴェットーリが良質のオリーブ油を製造するためのガイドラインを定め、オリーブ油はプロヴァンス地方とトスカーナ地方で生産されるようになりました。

この当時、油を搾る方法は次のように行われていました。

油は、古代ローマ人のやり方とは反対に、地面に落ちたオリーブから搾っていた。そのうえオリーブを臭いヤギ皮の袋に保管していたのだから、結果は推して知るべしだろう。

収穫してもすぐ搾らず、しばらく保存しておくと油が多く採れるようになると考えられていたので、当時の人々はオリーブに塩をふりかけ、家の隅に積み上げて醗酵させていた。

シチリア島では、オリーブが搾油できる状態になったかどうか、腐敗したオリーブの山に腕を突っ込んで判断していた。

引き抜いた時に腕が白くなって油がついていたら、いつでも搾油できる状態、しかし、腕がオリーブの果肉のように赤くなっていたら、まだ未熟だということだった。

ナポリ南部を訪れた外国人旅行者は、その強烈な腐ったような悪臭をかいだとたん、この油をサラダにかけるのをやめた。

ローマ時代にオリーブの使用方法が広がり、知識が蓄積されても、その文化が壊されると、こんな状態になるのですね。

ちなみにローマ時代には、まだきれいな緑色をしている熟していないオリーブから抽出した油を高級なものとしており、もちろん、一番搾りは最高級のものが、2回目の圧搾からは二級品が、3回目の圧搾からは並の油が採れるとしていました。

オリーブ油は非常に傷みやすいものとされ、オリーブを採取したら傷まないうちに油をしぼらなければならないとされていました。

まとめ

はるか昔からオリーブ油は使われてきました。

歴史と伝統が長くあれば、オリーブ油の利用がそう簡単に廃れないだろうと思うのですが、実際は、別な文化が持ち込まれ、ラード(豚脂)の利用によってしばらく(かなり長い間)食用にはオリーブ油が使われない時代がありました。

キリスト教では、オリーブ油が断食のため食用として使われていたようですが、ローマ時代の洗練された搾油方法は継承されなかったようで、ひどい味だったようです。

食文化は長く続いても壊れることがあり、しかも、その期間が長いと、再び元に戻るまでにとても長い時間がかかるということが発見でした。

オリーブは簡単に油を搾れる作物なのに、よい状態で使いたいという試行錯誤をするには意外と時間がかかるのですね。

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