江戸時代のごま油

江戸時代、元禄年間に出版された本草書、本朝食鑑を読むと、胡麻油が高価なもので、食用油や明かり用の燈油や雨具や塗髪に使われていました。その中でも、煙が少なく、燈油に一番利用されていました。

ごま

江戸時代の本草書本朝食鑑を読んでいたら、胡麻油が出ていました。

本朝食鑑 (東洋文庫)
本朝食鑑という本草書があることを知り、調べてみると、平凡社から漢文を口語に翻訳されたものが今でも買えることがわかりました。オンデマンドなので紙は高く、電子書籍なら半額以下で買えます。 いつもツイッターを見ているのですが、つい最近、本朝食鑑と

読んでみると、本朝食鑑が出版された元禄10年(1697年)頃の油の価値がわかって面白いです。

胡麻油は燈油として一番利用されていた

本草書にでてくる集解(しゅうげ)とは、産地・形態などを説明することのようです。(参考

[集解]胡麻は蒸熟(よくむ)して搾(しめぎ)を打し、袋を圧(お)し絞(しぼ)って滴(したた)り下(お)ちた油を取る。食油や燈油や雨具や塗髪に用いる。就中(とりわけ)燈油には最もよく利用している。

黒胡麻は油が少なく、白胡麻は油が多いために、城州の山崎および海西各地では悉(ことごと)く白胡麻を用いている。蒸炒しないで生で油を取るのを白志保利(しらしぼり)という。これは塗髪に用い、あまり多く作らない。凡そ我が国では、油が貨殖(かねもうけ)の盛(たか)い品として、民間に大規模に営業されている。諸州にも産するとはいえ、城州の山崎の品に及ぶものはなく、山崎は油の大肆(いちば)となっている。

この時代、電気がないですから、考えてみれば燈油としての用途が一番なのは当たり前です。

城州とは、山城(やましろ)国の別称です。出典山城国は京都府南部のこと。出典

山崎とは、サントリーのウイスキーに「山崎」があり、山崎蒸留所が知られていますが、そのあたり。大阪府と京都府の境目に山崎、大山崎という地名があります。

サントリー山崎蒸溜所(大阪府)|ウイスキー蒸溜所見学
日本のウイスキーのふるさと、山崎蒸溜所。創業者の鳥井信治郎は日本人の繊細な味覚にあったウイスキーをつくるため、良質な水と自然環境にこだわって山崎の地を選び、蒸溜所を建設しました。工場見学(有料・事前予約制)のほか、テイスティングカウンター(有料)ではここでしか味わえない原酒なども楽しめます。JR京都線「山崎駅」、阪急京...

海西とは、日本の西国のことです。

安い油いろいろ

胡麻油が高価なので、代用品の話が出てきます。

胡麻油の高価なものは、燈火の黒煙(けむり)が少なく、食用・塗髪に用いてもすぐれている。値が高いので、下民には手が届きにくい。そこで蕪菁子(かぶらのみ)の油、芥子の油、菘子(とうな)の油、木綿実仁(もめんのみ)の油、鯨・鱶(ふか)・鰐(わに)・鰯(いわし)の油等がはびこり出回るわけで、その価値もやすいものである。

山茶子(さざんかのみ)油というのがあるが、俗に木の実(み)の油といっている。参州・遠州等では伊勢神宮の燈油としてこれを販(あきな)っている。復(また)諸州に、処によっては山茶子の油があり、これを刀剣および銅鉄器に塗ると錆(さ)びないので、家々に収蔵されている。

榧子(かやのみ)の油というのもあり、和州の吉野に多く産する。その土地は榧が多いからでもあろうか。この油は清澄で、味は美(よ)く、こってりしていないので、食用とするのによい。然(けれ)ども、油の生産量は少なく、価が貴(たか)い。

胡桃仁(くるみのたね)の油というのもあるが、これも油の生産量は少なく、価もやすくないので、販(あきな)うことは少ないのである。(後略)

蕪菁は蕪(かぶ)のこと。アブラナ科なので種に油が含まれています。芥子(からし)もアブラナ科で、種に油が含まれています。菘子(とうな)の菘は、春の七草すずなです。または、蕪の別な呼び名です。木綿実仁(もめんのみ)の油は、綿実油です。今でも買えます。

また、鰐(わに)は、鮫のことのようです。魚の油は価値が低い書かれ方です。

その後ろは、また高級品です。山茶花(さざんか)はツバキ科ツバキ属ですから椿と親戚みたいなものです。ツバキ油は今も高級品です。

榧子(かやのみ)の油は知りませんでしたが、以前、榧の実は見たことがあります。結構大きくて、油が搾れると聞くとなるほどと思いました。

調べてみると、なかなかよいお値段です。

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胡麻油の性質と薬効

本草書の[気味]は、性質を表し、[主治]は薬効を表します。

[気味]甘。大温。無毒。李時珍(『本草綱目』)が、「油は火と性・用を同じくする。食物を煎煉するに、尤もよく火を動かし痰を生じる。但(ただ)、生で用いる場合は、燥を潤(うるお)し、毒を解し、痛みを止め、腫れを消す効力があり、寒によく似た点がある」といっている。必大(わたし)の考えでは、もし煎煉の食物を多食すれば、必ず発熱し、渇を発するので、性は温熱であることは疑いない。

[主治]熱毒を下し、大腸・小腸の調子をよくし、虫毒を解する。塗れば、肌つやをよくし、痛みを止め、腫れを消す。

[気味]甘は、補益(ほえき)補うこと、和中(わちゅう)中焦(胃腸)の働きを助けること、緩急(かんきゅう)急な痛みを和らげること、という意味があります。

大温は、身体を温める[温]に大がついていますから、その程度が大きい。

NOTE

東京油問屋市場のサイトにあった前 史―灯火のはじまりと油の独占を読むと、城州山崎の胡麻油とは、荏胡麻油のことだったのかもしれません。探したのですが、荏胡麻は出てきても胡麻の話は出てきません。

わが国の油の歴史に重要な役割を果たしたのが,山城の国山崎の地にある大山崎離宮八幡宮である。大山崎離宮八幡宮は,清和天皇の代,貞観元(859)年に大和の国大安寺の行教和尚が,八幡様を分霊遷座したのがはじまりとされている。

遷座と同時に,大山崎の社司が,長木による搾油を開始した。搾油原料として使用された荏胡麻の栽培も行った。

この油は,大山崎の灯明として利用されると同時に宮廷にも献上され,朝廷は,その功績を賞して,社司に「油司」の宣旨を賜った。それ以来,神社仏閣の灯明の油は,全て大山崎が納めることとなった。

一方、本朝食鑑には胡麻はあっても荏胡麻について書かれていません。ひょっとすると、この時代、荏胡麻と胡麻は厳密に区別されていなかったのかなと思いましたが、正確なところは分かりません。

他の油については、油の種類で紹介した記事まとめをお読み下さい。

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