なぜ含油率が低い大豆から油を搾るのか

大豆は含油率が20%程度しかありませんが、油糧種子としては生産量が世界一の作物です。搾りにくさは溶剤抽出によって克服されました。油を搾った後の大豆粕は、昔は肥料、今は栄養豊富な飼料になります。大豆は1900年頃から満洲で大量栽培され、中国南部、日本、ヨーロッパやアメリカに輸出されました。

大豆

世界の油糧種子生産量は大豆がダントツ1位

日本植物油協会の植物油の道を見ると、油を搾るための油糧種子の生産グラフが載せられています。ご覧になれば一目瞭然。ひま(トウゴマ)、あまに、コプラ、パーム核、ごま、落花生、ひまわりの種、綿実、菜種、大豆が出ていますが、大豆がダントツに多いです。

また、農水省のサイトにある生産と消費量で見る世界の大豆事情にはこのように書かれていました。

世界の大豆生産量は年間約3.2億トンで用途は搾油

現在、世界の大豆生産量は年間約3.2億トンに達していますが、その用途は主に搾油です。国別では、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンの南北アメリカ3国で世界の生産量の約8割を占めます。

世界の大豆生産は、2013年の資料では、第一位がアメリカとブラジル。この2国で全体の60%を生産します。第三位がアルゼンチン。第四位が中国です。中国の生産量は、世界のわずか4%です。

大豆の輸出もほぼ同じで、第一位がブラジル。第二位がアメリカ。第三位がアルゼンチンで、この3国で全体の85%を占めます。

一方、大豆の輸入は、全体の66%を中国が占めています。すごいですね。第二位がEUで約12%。その他メキシコ日本と続きます。(出典

大豆の含油率は20%程度

大豆はダントツの生産量ですが、含油率は、それほど高くありません。せいぜい20%程度です。そのため、ヘキサンなど溶剤を使って抽出します。

ところで、他のいわゆる油糧作物はどのくらいの含油率なのか、少し調べてみました。えごま、ごまとも含油率は高いです。

オリーブは果実です。水分を抜いて考えると、たんぱく質よりも炭水化物よりもダントツで脂質が多いです。

表には書きませんでしたが、菜種は含油率が40%あります。(出典

食品100g中の栄養成分
食品成分 水分 たんぱく質 脂質 炭水化物
黄大豆/乾 12.4 33.8 19.7 29.5
えごま/乾 5.6 17.7 43.4 29.4
ごま/乾 4.7 19.8 53.8 16.5
塩漬/グリーンオリーブ 75.6 1 15 4.5
※日本食品標準成分表2015年版(七訂)による

やはり、大豆の含油率は大したことがありません。なぜ、大豆から油を搾っているのでしょう?

大豆粕が肥料や飼料になる

大豆にはたんぱく質が豊富に含まれています。もう一度上の表を見てください。乾燥大豆100g中、33.8 gもたんぱく質があります。

大豆は、油を搾った後、粕(しぼりかす)が有効に使える作物です。大豆粕は大豆ミールとも呼ばれています。大豆粕は、現在は、飼料としてタンパク質の供給源となります。日本では、醤油の原料としても利用されていますが、昔は肥料としての価値が高かったようです。

たんぱく質が多いですから、肥料の三要素、窒素・リン酸・カリのうち、窒素源となります。

大豆は満洲から広がった

大豆の原産は、中国東北部。大豆は満洲で大量に栽培されるようになり、中国南部、日本、そしてヨーロッパやアメリカまで輸出されるようになりました。

大豆油がいつから使われていたのかはっきりと分からないようですが、1578年に完成された本草綱目に収められているので、その頃には間違いなく使われていたということです。本草学(ほんぞうがく)は、中国で発達した医薬に関する学問です。

日本油脂協会のサイトにとても面白い記事があります。これは是非、実際の記事である、日本の大豆搾油業の黎明をお読みください。

大豆油は、いま、評判がよいとはいえないですが、大豆を世界に広めるのに日本も一役買っています。

満洲の人口が20年間で4倍に

1900年頃満洲での大豆の生産量が増えたのですが、それは満洲の人口増加によるものでした。

1890年における満州の人口は500万人程度でしたが、漢民族などの同地域への移動が促進され、1900年には1,000万人、1913年には2,000万人にまで増加しました。

この大量の人口流入が大豆生産に拍車をかけ、1900年以降の大豆搾油ブームを引き起こしました。

中国の大豆生産は、1900年頃に満州で急激に伸び、搾油も規模を拡大して行われるようになりました。規模の拡大がわかる部分です。

まずは人口が増大する前の話です。

1864年に443トンの大豆油、50,900トンの大豆ケーキ、49,300トンの大豆がNewchwang(現在の営口市、以下、営口と記す)の港から輸出され、1867年には、それぞれ1,390トンの大豆油、70,300トンの大豆ケーキ、60,300トンの大豆へと拡大しました。

営口市の場所をグーグルで調べました。

営口市
中華人民共和国 遼寧省

およそ30年で生産量が10倍近くに

さらに規模が拡大して海外にも輸出されていきます。およそ30年で生産量が10倍近くになっていることがわかります。

1899年には、大豆254,348トン、大豆粕236,543トン、大豆油8,627トンが輸出され、250万英国ポンドを獲得したと推計されています。

このころ満州の大豆生産は555,000トンを上回り、その多くが中国南部(広東、厦門など)に供給され、そこで大豆搾油が行われ、大豆粕がサトウキビ農場の肥料として利用され、更にジャワ島のサトウキビの肥料として広東から輸出されていました。

この後、1894年~1895年の日清戦争後、日本が満州の大豆、大豆粕の主要輸出先国となり、日本へ輸出された大豆粕は、稲作の肥料として利用されました。

さらに、1904年~1905年の日露戦争後、日本は満州に進出し、大豆、大豆粕の輸出が拡大しました。

大豆生産のピークは387万トン

南満州鉄道が刊行した「満州における大豆」によると、1926年が満州の大豆生産のピークであり、387万トンの生産量だったと記録があります。

この間、満洲の最大の搾油基地は、営口から大連に移っていました。

大連市
中華人民共和国 遼寧省

日本でも搾油されていたがほとんど輸出

1919年(大正8年)には神戸に搾油工場が25できていたとあります。しかし、大豆粕を製造するのが目的で、大豆油はほとんど輸出されていました。日本国内で需要があまりなかったのでしょう。現在との食生活の違いがわかって面白いです。

大豆粕の方が重要だったことが、大豆が含油率が低いのに油料作物として生産量が断トツで第一位である理由の一つになりますね。

1919年には神戸地区には25の搾油工場が操業し、1,520万ポンド(約68万トン)の植物油が製造されていました。

大豆搾油の目的は、大豆粕を製造し肥料需要に応えることで、大豆油のほとんどは欧米、特にアメリカに輸出されていました。

アメリカの大豆油需要は、日本からの輸出と満州で操業する日本企業からの輸出で支えられていたのです。

その背景には、先に述べた第一次世界大戦の影響がありましたが、1912年に日本からアメリカに輸出された大豆油は6,033トンで、その後1919年に至るまで、毎年3万トンを超える大豆油がアメリカに輸出されました。

今では想像もできないことですが、満州という大豆供給源の存在が、それを支えた要因でした。

日本の企業が、大豆油と大豆を世界に拡げる役割を果たしていたことがわかります。

溶剤抽出法の発明

現在はヘキサンを使って抽出されていますが、最初はベンゼンが使われていました。溶剤で抽出すると油分をほとんど採ることができます。

満州の大豆産業が活気を呈しているころ、新しい搾油技術として溶剤抽出技術がヨーロッパで開発されました。

それまでの圧搾法では、100kgの大豆から約9kgの大豆油しか抽出できませんでしたが、この新技術により大豆に含まれる油分のほとんどを抽出できることとなりました。(中略)

ヨーロッパで最初に溶剤抽出法を活用した大豆搾油を発展させたのはイギリスでしたが、やがてヨーロッパ大陸にも波及し、満州からの輸入大豆を搾油するようになり、ドイツが最大の大豆搾油国として名乗りを挙げ、日本(満州で操業する日本企業を含む)とともに世界の搾油業を牽引する存在となりました。

大連で先行して操業していた日清製油、三井物産、三菱商事などの各工場も新技術を取り入れた工場の建設を進めるとともに大豆油の精製工場建設をも進め、ここで漸く大豆油が食用に供される基盤ができ上がることとなりました。

このとき開発された溶剤抽出技術は、溶剤としてベンゼンを用いるものでしたが、その後、南満州鉄道はアルコールによる抽出技術を確立し、同社の大豆搾油工場を建設しました。

ベンゼンにどんな問題があったのか詳しく知りたいところです。現在のヘキサンを使った抽出方法について、油を抽出する溶媒ヘキサンについてという記事を書いています。

この話の流れで考えると、溶剤抽出法は、大豆から搾油するためにつくられた技術だということになりますね。

油を効率よく無駄なく搾ることができ、また、大豆粕から油をきれいに抜くことで、大豆粕の品質向上にもなり、一石二鳥の技術です。

NOTE

大豆について、大豆油にリノール酸が多くて問題だと思うよりずーっと前に、なぜ日本の大豆の自給率がひどく低いのだろうと疑問に思っていました。

日本人のわれわれには、醤油、味噌、納豆など大豆は欠かすことができません。私が子供の頃から大豆は畑のお肉といわれていました。

それで、大豆の自給率はなぜ低いのか?という記事も書いています。

大豆の自給率はなぜ低いのか?
大豆は明治時代までは自給自足できていました。しかし、満州で大規模生産するようになると、国内の農家はつくっても儲からなくなり栽培するのを止めます。戦後は、アメリカから安く入って来ましたが、その後、大豆が不足する事態になり、ブラジルで生産してもらうようになっています。

もちろん、満洲が関係あります。そして、この記事の冒頭に、大豆の生産国について書きましたがブラジルが大生産国になったのは、日本が関係しています。

大豆を世界に拡げたのは日本といってもよいかもしれません。よかったら、読んでみてください。

油の加工について他の記事は、油の加工についてをご覧下さい。

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